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ごあいさつ

当院のホームページをご覧くださりありがとうございます。

長年従事してきた様々な疾患への麻酔・術後痛の緩和・がんの痛みの緩和に対する知識・技術を活かして、地域の方の痛み症状の改善や健康管理に役立てようと開院いたしました。

1人でも多くの方が痛みや苦痛から解放され、日常生活が過ごしやすくなるよう治療をしていきます。 〝やさしく温かい気持ちで地域に親しまれる医療を!〟を合言葉に地域に根ざし信頼され愛される医療機関となれるようスタッフ一同努力していきたいと思います。

神経ブロック注射や他の医療処置を施行するに当たり、患者状態監視装置を全ベットに完備し安全に配慮しつつ心癒される空間をめざしておりますが、今後はより良い医療を提供するために、他の医療機関・医療従事者との連携を深めてサービスの充実に力を注いでいきますので、どうぞ宜しくお願い申しあげます。

院長 雨宮美和

経歴・資格・所属学会等

元山梨厚生病院麻酔科医長(H.16~H.23)
元山梨厚生病院手術室室長(H.16~H.23)

日本麻酔科学会専門医・指導医、AHA ACLS/BLSProvider

日本緩和医療学会、日本麻酔科学会、日本臨床麻酔学会、日本ペインクリニック学会

当院の特徴

  1. 当院では神経ブロック時の痛みを心配する患者様でも安心して処置が受けられるように、局所麻酔薬の軟膏を注射部位に使用したり、笑気吸入麻酔を併用したり極細の針を用いることで、治療時の苦痛がないように配慮しています。
  2. 神経ブロック類似効果のある光線治療医療機器や循環をよくしたり筋肉の凝りを改善する効果のある電気刺激装置を適切に治療に取り入れ、相乗効果で回復を早めます。
  3. ボトックス製剤による各種治療が受けられます。(顔面・眼瞼まぶたけいれん・斜頚・四肢の硬縮・眉間しわとり などの治療)  <要予約>
  4. 自分で来院することが大変な患者様に関しては、予約いただければ送迎いたします。<要予約・時間応相談>
  5. 長年、手術や術後の患者さん・様々な疾患に関わってきた院長が、『これから手術をするけれど…』『手術は終わっ たけれど…』という手術に関連したご本人やご家族の心配・不安が軽減するよう、カウンセリングします。

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一人でも多くの人を

     痛みや苦しみからかいほうしたい

みわペイン痛みのクリニック 院長 雨宮美和

刊経営情報雑誌リーダーズ 2016/3月号に掲載された内容

刊経営情報雑誌リーダーズは、21世紀の「今」を生きる経営者に各界の著名人をゲストインタビュアーとして直接取材。地域に根ざした企業経営者の生の声を対談の形で記事にしています。 

http://www.kokusaig.co.jp/leaderseye/

 

一人でも多くの人を痛みや苦しみからかいほうしたい

みわペイン痛みのクリニック 院長 雨宮美和

子どものころに痛い思いをした経験や、自分の周りに病気の人が多かったことから医療の道を目指したという雨宮院長。長く麻酔科医とて多くの病院に勤務し、今はその積み重ねた知識と経験を活かして、「やさしく温かい気持ちで地域に親しまれる医療を! 」を合言葉に、地域の人の痛みや症状の改善に力を尽くしているという。 「1人で多くの人が痛みや苦しみから解放される」ことを願い日々診療に臨む院長であるが、痛み以外にも患者が不快に感じることのないよう、細部に至るまで配慮した院づくりに注力している。そんな院長の姿勢からは、患者を思う温かい心と医療人としての強い信念を持っていることが窺えた

2012年に開業した『みわペイン痛みのクリニック』。「ペインクリニック」とは「痛みの診療所」の意味で、身体や心の痛みを総合して診断治療する専門医だ。そんな同院では雨宮院長が、麻酔科医として培ってきた知識と経験を活かして、1人でも多くの人が痛みや苦痛から解放されることを願って診療に当たっている。

 

雨宮院長の足跡

地元・山梨県出身。子どものころから医者を目指し、愛知県の大学医学部へ進学し、様々な病院に勤務する。 2004年から2011年までは『山梨厚生病院』の麻酔科医長、。手術室室長を兼任。その後、2012年に「みわペイン痛みのクリニック」を開業した。

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痛みの軽減・改善を目指すペインクリニック

対談:院長 雨宮美和×杉浦幸(タレント)

 

身近な人たちを癒したいという想いが医療の道を志すきっかけとなる

杉浦: まずは、雨宮院長が医療の道を目指されたきっかけからお聞かせ下さい。

雨宮: 小学校1年生の時に骨折をしたことが最初のきっかけですね。タオルで動かないように固定されたのですが、なかなか治らなくて、手術をすることに。それがあまりに痛くて整形外科の先生を恨めしく思い、「患者さんをこんな目に合わせないような医者になる」と決めました(笑)。また、子どものころの友達が病気だったことも医療の道を志したきっかけになりましたね。その子は私の家のすぐ隣に住んでいて、毎日仲良く一緒に

遊んでいました。その時に病気の話を聞いて、「私か医者になって治してあげる」と約束したんです。それに加えて、母が病弱だったこともこの道に進むきっかけになりましたね。毎日、学校から帰ったらまずお母さんに「ご飯食べた?」と聞くような生活だったんですよ。

杉浦: お母様を大切に想う心もヽ院長の背中を押したのですね。

雨宮: 母だけではありません。父が長く闘病で苫しんだことも影響しています。大学に入学して1週問ほど経った時、父が胃がんだったという事がわかり、その時は大学を辞める覚悟もしました。病状は全く良くならず、何力月も食事ができない状態で、何度も手術をしました。父が痛み苦しむ姿を目の当たりにするうちに、「痛みを何とかしてあげたい」という想いが高まっていき、それで麻酔科に進むことを決めたんです。幸い父の病状はよくなって今も生きていますし、母も昔の事が嘘のように元気になったんです。私が医者になったら周りが元気になったというのが、とても不思議に感じましたね(笑い)。     

杉浦: きっと、院長の想いが天に届いたのかもしれませんね。ちなみに、麻酔科というのは医療の中でも特殊なイメージがありますね。

雨宮: 確かに、内科や外科とは違うので-般の方から見れば、技師のようなイメージだと思います。それは両親も同じだったようで、私か麻酔科に進みたいと言った時も、「せっかく医者になるんだったら診察をするような医者になってほしい」と大反対されたんです。ですから、両親の思いを汲み取って皮膚科に進んだのですが、やはり自分のやりたいこととは違うと感じ、麻酔科に戻ることに。それからはずっと、麻酔科医として歩んできました。

 

長く麻酔科医を勤めた経験を以て一人でも多くの患者の痛みを取り除く

杉浦: では次に、こちらを開院するまでの経緯について伺います。

雨宮:  学業を終えてからは進学した大学病院に勤務しました。その後、岐阜県にある市民病院に移り、そちらで一年ほど勤めた後、地元である山梨県の大学柄院に入ったんです。さらに、同じく山梨県にある 『山梨厚生病院』に移って、そちらで10年間勤務した後、 2012年に開院して独立しました。

杉浦 : 色々な病院で、経験を積まれてきたのですね。

雨宮 : はい。特に、最後にお世話になった厚生縞院では貴重な体験ができましたね。基本的に、麻酔科医と患者さんがふれあう機会はほとんどないんです。それが、そちらで術後に麻酔科医が患者さんを回診し、痛みを治療することを認めてくれていました。すると、患者さんも私のことを覚えで下さるようになり、それをとても嬉しく感じましたね。そんな環境に長く勤めたことが、その後の私の人生に大きく影響したと思います。

杉浦 : 医師としてのやり甲斐を見出されたのですね。ちなみに、麻酔科の先生というのは、どのような役割があるのでしょう。

雨宮: 手術中の麻酔と全身管理の他、術後痛や、ガンをはじめとする様々な病気による痛みの緩和などが麻酔科医の主な仕事になります。

杉浦:  こちらでは具体的に、どういった診察をされているのでしょう。

雨宮 : これまで培った知識と経験を活かして、ガンの痛みや帯状疱の痛みをはじめ、腰痛、頭痛、肩こり、五十膚、肘の痛み、股関節やひざの痛み、手術や事故後の痛みなどを軽減、改善するための治療行っています。

杉浦 : なるほど。だから医院の名前が「痛みのクリニック」なんですね。

雨宮 :そうです。当院では痛み以外にも対応していて、自律神経に関わる病気や顔面の麻輝、難聴や視力低下の特殊治療も行っています。

杉浦 : 開業から3年になりますが、いかがですか。

雨宮 : お蔭様で地元の方はもちろん、県外からもたくさんの患者さんがご来院されています。神奈川や東京からもいらっしゃいますし、一番遅くは韓国からも来られましたね。

杉浦 : 海外に評判が届くほどの治療技術をお持ちなのですね。お話も尽きませんが、最後にこれからの展望をお聞かせ下さい。

雨宮:  今後は、痛みの治療に加えて病気の人や身体に不具合がある人のサポートを行っていこうと考えています。少ししか歩けない人でも筋力をつければもっと歩けるようになりますから、機能訓練のリハビリを手掛けることで、治療とサポートを両立していこうと。そうして患者さんが日常生活を過ごしやすくできるようにしていきたいですね。

(2015年12月取材)

 

 

尊敬する師から教わった“すぐ動く”ことの大切さ

▼長く麻酔科医として経験を積んできた雨宮院長であるが、 一時は別の科に進んだこともあるという。そんな院長を麻酔科に引き戻したのは、尊敬できる教授との出会いだ。教授から教わったことは麻酔科医としての今の自分のベースになっているという。中でも大切にしてきた教えは、 「看護師から呼ばれたら、すぐに動く」ということだ。

師の教えに沿って、迅速に対応することで、患者の痛みを少しでも早く緩和してきた院長。すると、共に働く看護師からも信頼を置かれるようになったという。そうした経験から、「看護姉さんに信用されないようでは、患者さんからも信用されないということを教わりました」と院長。開業した今もそのスタンスを貫いており、スタッフとの信頼を大切にしながら、抜群のチームワークで一人ひとりの患者に対応している。国外からも来院される人がいるという所以は、真撃に診療に臨む院長と看護師のチームワークによるところが大きいのだろう。

 

杉浦宰(タレント)

雨宮院長がおっしゃっていた「患者さんの痛みを取るのは趣味のようなもの」という言葉が印象的でした。きっと、痛みを緩和させることで、患者さんが和らいでいく姿に、やり甲輩を感じていらっしゃるのでしょうね。

 

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